第4節 仏のことば(324) 1.わたしをののしった、わたしを笑った、わたしを打ったと思う者には、怨[うら]みは鎮[しず]まることがない。 怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。 屋根のふき方の悪い家に、雨が漏るように、よく修めていない心に、貪[むさぼ]りのおもいがさしこむ。 怠るのは死の道、努め励むのは生の道である。愚かな人は怠り、智慧[ちえ]ある人は努め励む。 弓矢を作る人が、矢を削ってまっすぐにするように、賢い人は、その心を正しくする。 心は抑え難く、軽くたち騒いでととのえ難い。この心をととのえてこそ、安らかさが得られる。 怨みを抱く人のなすことよりも、かたきのなす悪よりも、この心は、人に悪事をなす。 この心を、貪[むさぼ]りから守り、瞋[いか]りから守り、あらゆる悪事から守る人に、まことの安らかさが得られる。 2.ことばだけ美しくて、実行の伴わないのは、色あって香りのない花のようなものである。 花の香りは、風に逆らっては流れない。しかし、善い人の香りは、風に逆らって世に流れる。 眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。 道を行くには、おのれにひとしい人、またはまさった人と行くがよい。愚かな人とならば、ひとり行く方がまさっている。 猛獣は恐れなくとも、悪友は恐れなくてはならない。猛獣はただ身を破るにすぎないが、悪友は心を破るからである。 これはわが子、これはわが財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。おのれさえ、おのれのものでないのに、どうして子と財宝とがおのれのものであろうか。 愚かにして愚かさを知るのは、愚かにして賢いと思うよりもまさっている。 愚かな人は賢い人と交わってもちょうど匙[さじ]が味を知らないように、賢い人の示す教えを知ることができない。 新しい乳が容易に固まらないように、悪い行いもすぐにはその報いを示さないが、灰に覆われた火のように、隠れて燃えつつ、その人に従う。 愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。 過ちを示し、悪を責め、足らないところを責める人には、宝のありかを示す人のように、仰ぎ仕えなければならない。 3.教えを喜ぶ人は、心が澄んで、快く眠ることができる。教えによって心が洗われるからである。 大工が木をまっすぐにし、弓師が矢を矯[た]め直し、溝[みぞ]つくりが水を導くように、賢い人は心をととのえ導く。 堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられてもほめられでも心を動かさない。 おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。 正しい教えを知らないで、百年生きるよりも、正しい教えを聞いて、一日生きる方がはるかにすぐれている。 どんな人でも、もしまことに自分を愛するならば、よく自分を悪から守れ。若いとき、壮[さか]んなとき、また老いた後も一度は目覚めよ。 世は常に燃えている。貪[むさぼ]りと瞋[いか]りと愚かさの火に燃えている。この火の宅[いえ]から、一刻も早く逃げ出さなければならない。 この世はまことにあわのような、くもの糸のような、汚れをもった瓶[かめ]のようなものである。だから、人はそれぞれの尊い心を守らなければならない。 4.どんな悪をもなさず、あらゆる善いことをし、おのおの心を清くする、それが仏の教えである。 耐え忍ぶことは、なし難い修行の一つである。しかしよく忍ぶ者にだけ最後の勝利の花が飾られる。 怨[うら]みのさ中にあって怨みなく、愁いのさ中にあって愁いがなく、貪りのさ中にあって貪りがなく、一物もわがものと思うことなく、清らかに生きなければならない。 病のないのは第一の利、足るを知るのは第一の富、信頼あるのは第一の親しみ、さとりは第一の楽しみである。 悪から遠ざかる味わい、寂[しず]けさの味わい、教えの喜びの味わい、この味わいを味わう者には恐れがない。 心に好悪[こうお]を起こして執着してはならない。好むこと、きらうことから悲しみが起こり、恐れが起こり、束縛が起こる。 5.鉄の錆[さび]が鉄からでて鉄をむしばむように、悪は人から出て人をむしばむ。 経があっても読まなければ経の垢[あか]、家があっても破れてつくろわないのは家の垢、身があっても怠るのは身の垢である。 行いの正しくないのは人の垢、もの惜しみは施しの垢、悪はこの世と後の世の垢である。 しかし、これらの垢よりも激しい垢は無明[むみょう]の垢である。この垢を落とさなければ、人は清らかになることはできない。 恥じる心なく、烏[からす]のようにあつかましく、他人を傷つけて省みるところのない人の生活は、なしやすい。 謙遜[そん]の心があり、敬いを知り、執着を離れ、清らかに行い、智慧[ちえ]明らかな人の生活は、なし難い。 他人の過ちは見やすく、おのれの過ちは見難い。他人の罪は風のように四方に吹き散らすが、おのれの罪は、さいころを隠すように隠したがる。 空には鳥や煙や嵐[あらし]の跡なく、よこしまな教えにはさとりなく、すべてのものには永遠ということがない。そして、さとりの人には動揺がない。 6.内も外も、堅固に城を守るように、この身を守らなければならない。そのためには、ひとときもゆるがせにしてはならない。 おのれこそはおのれの主[あるじ]、おのれこそはおのれの頼りであ る。だから、何よりもまずおのれを抑えなければならない。 おのれを抑えることと、多くしゃべらずにじっと考えることは、あらゆる束縛を断ち切るはじめである。 日は昼に輝き、月は夜照らす。武士は武装をして輝き、道を求める人は、静かに考えて輝く。 眼と耳と鼻と舌と身の、五官の戸口を守らず、外界に引かる人は、道を修める人ではない。五官の戸口をかたく守って、心静かな人が、道を修める人である。 7.執着があれば、それに酔わされて、ものの姿をよく見ることができない。執着を離れると、ものの姿をよく知るこ とができる。だから、執着を離れた心に、ものはかえって生きてくる。 悲しみがあれば喜びがあり、喜びがあれば悲しみがある。 悲しみも喜びも超え、善も悪も超え、はじめてとらわれがなくなる。 まだこない未来にあこがれて、とりこし苦労をしたり、過ぎ去った日の影を追って悔いていれば、刈り取られた葦[あし]のように痩[や]せしぼむ。 過ぎ去った日のことは悔いず、まだこない未来にはあこがれず、とりこし苦労をせず、現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も健やかになる。 過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。 今日すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。 信は人のよき友、智慧[ちえ]は人のよい導き手である。さとりの光を求めて、苦しみの闇[やみ]を免れるようにしなければならない。 信は最上の富、誠は最上の味、功徳を積むのは、この世の最上の営みである。教えの示すとおりに身と心とを修めて、安らかさを得よ。 信はこの世の旅の糧[かて]、功徳は人の貴い住みか、智慧はこの世の光、正しい思いは夜の守りである。汚れのない人の生活は滅びず、欲に打ち勝ってこそ、自由の人といわれる。 家のためにわが身を忘れ、村のためにわが家を忘れ、国のために村をも忘れ、さとりのためにはすべてを忘れよ。 ものみなうつり変わり、現れてはまた滅びる。生滅にわずらわされなくなって、静けさ安らかさは生まれる。。 |
当ページの典拠 1〜6.法句経([Dhammapada]@Page) 7.パーリ、相応部1-4-6 7.増一阿含経 7.大般涅槃経 (Link集)→ |