第3節 現実の人生(243)

1.
ここに人生にたとえた物語がある。ある人が、河の流れに舟を浮かべて下るとする。岸に立つ人が声をからして叫んだ。「楽しそうに流れを下ることをやめよ。下流には波が立ち、渦巻[うずま]きがあり、鰐[わに]と恐ろしい夜叉[やしゃ]との住む淵[ふち]がある。そのままに下れば死ななければならない。」と。
 このたとえで「河の流れ」とは、愛欲の生活をいい、「楽しそうに下る」とは、自分の身に執着することであり、「波立つ」とは、怒りと悩みの生活を表わし、「渦巻き」とは、欲の楽しみを示し、「鰐と恐ろしい夜叉の住む淵」とは、罪によって滅びる生活を指し、「岸に立つ人」とは、をいうのである。

 ここにもう一つのたとえがある。ひとりの男が罪を犯して逃げた。追手が迫ってきたので、彼は絶体絶命になって、ふと足もとを見ると、古井戸があり、藤蔓[ふじつる]が下がっている。彼はその藤蔓をつたって、井戸の中へ降りようとすると、下で毒蛇[どくじゃ]が口を開けて待っているのが見える。しかたなくその藤蔓を命の綱にして、宙[ちゅう]にぶら下がっている。やがて、手が抜けそうに痛んでくる。そのうえ、白黒2匹の鼠[ねずみ]が現われて、その藤蔓をかじり始める。
 藤蔓がかみ切られたとき、下へ落ちて餌食[えじき]にならなければならない。そのとき、ふと頭をあげて上を見ると、蜂[はち]の巣から蜂蜜[みつ]の甘いしずくが一滴二滴と口の中へしたたり落ちてくる。すると、男は自分の危い立場を忘れて、うっとりとなるのである。
 この比喩[たとえ]で、「ひとり」とは、ひとり生まれひとり死ぬ弧独の姿であり、「追手」や「毒蛇」は、この欲のもとになるおのれの身体のことであり、「古井戸の藤蔓」とは、人の命のことであり、「白黒2匹の鼠」とは、歳月を示し、「蜂蜜のしずく」とは、眼前の欲の楽しさのことである。


2.また、さらにもう一つのたとえを説こう。王が一つの箱に四匹の毒蛇を入れ、ひとりの男にその蛇[へび]を養うことを命じて、もし一匹の蛇でも怒らせれば、命を奪うと約束させる。男は王の命令を恐れて、蛇の箱を捨てて逃げ出す。
 これを知った王は、五人の臣下に命じて、その後を追わせる。彼らは偽って彼に近づき、連れ帰ろうとする。男はこれを信じないで、ふたたび逃げて、とある村に入り、隠れ家[が]を探す。
 そのとき、空に声あって、この村は住む人もなく、そのうえ今夜、六人の賊が来て襲うであろうと告げる。彼は驚いて、ふたたびそこを逃げ出す。行く手に荒波を立てて激しく流れている河がある。渡るには容易でないが、こちら岸の危険を思って筏[いかだ]を作り、かろうじて河を渡ることを得、はじめて安らぎを得た。
 「四匹の毒蛇の箱」とは地[ち][すい][か][ふう]の四大要素から成るこの身のことである。この身は、欲のもとであって、心の敵である。だから、彼はこの身を厭[いと]って逃げ出した。
 「五人の男が偽って近づいた」とは、同じくこの身と心とを組み立てている五つの要素のことである。
 「隠れ家」とは、人間の六つの感覚器官のことであり、「六人の賊」とは、この感覚器官に対する六つの対象のことである。 このように、すべての官能の危いのを見て、さらに逃げ出し、「流れの強い河を見た」とは、煩悩[ぼんのう]の荒れ狂う生活のことである。
 この深さの測[はか]り知れない煩悩の河に、教えの筏[いかだ]を浮かべて、安らかな彼[か]の岸に達したのである。


3.世に母も子を救い得ず、子も母を救い得ない三つの場合がある。すなわち、大火災と大水害と、大盗難のときである。しかし、この三つの場合においても、ときとしては、母子が互いに助けあう機会がある。
 ところがここに、母は子を絶対に救い得ず、子も母を絶対に救い得ない三つの場合がある。それは、老いの恐れと、病の恐れと、死の恐れとの襲い来ったときのことである。
 母の老いゆくのを、子はどのようにしてこれに代わることができるであろうか。子の病む姿のいじらしさに泣いても、母はどうして代わって病むことができよう。子供の死、母の死、いかに母子であっても、どうしても代わりあうことはできない。いかに深く愛しあっている母子でも、こういう場合には絶対に助けあうことはできないのである。


4.人間世界において悪事をなし、死んで地獄に落ちた罪人に、閻魔[えんま]王が尋ねた。「おまえは人間の世界にいたとき、三人の天使に会わなかったか。」「大王よ、わたくしはそのような方には会いません。」
 「それでは、おまえは年老いて腰を曲げ、杖[つえ]にすがって、よぼよぼしている人を見なかったか。」「大王よ、そういう老人ならば、いくらでも見ました。」「おまえはその天使に会いながら、自分も老いゆくものであり、急いで善をなさなければならないと思わず、今日の報いを受けるようになった。」
 「おまえは病にかかり、ひとりで寝起きもできず、見るも哀[あわ]れに、やつれはてた人を見なかったか。」「大王よ、そういう病人ならいくらでも見ました。」「おまえは病人というその天使に会いながら、自分も病[や]まなければならない者であることを思わず、あまりにもおろそかであったから、この地獄へくることになったのだ。」
 「次に、おまえは、おまえの周囲で死んだ人を見なかったか。」「大王よ、死人ならば、わたくしはいくらでも見てまいりました。」「おまえは死を警[いまし]め告げる天使に会いながら、死を思わず善をなすことを怠って、この報いを受けることになった。 おまえ自身のしたことは、おまえ自身がその報いを受けなければならない。」


5.裕福な家の若い嫁であったキサーゴータミーは、そのひとり子の男の子が、幼くして死んだので、気が狂い、冷たい骸[むくろ]を抱いて巷[ちまた]に出、子供の病を治す者はいないかと尋ね回った。
 この狂った女をどうすることもできず、町の人びとはただ哀れげに見送るだけであったが、釈尊の信者がこれを見かねて、その女に祇園精舎[ぎおんしょうじゃ]の釈尊のもとに行くようにすすめた。彼女は早速、釈尊のもとへ子供を抱いて行った。
 釈尊は静かにその様子を見て、「女よ、この子の病を治すには、芥子[けし]の実がいる。町に出て四・五粒もらってくるがよい。 しかし、その芥子の実は、まだ一度も死者の出ない家からもらってこなければならない。」と言われた。
 狂った母は、町に出て芥子の実を求めた。芥子の実は得やすかったけれども、死人の出ない家は、どこにも求めること ができなかった。ついに求める芥子の実を得ることができず、仏のもとにもどった。かの女は釈尊の静かな姿に接し、初めて釈尊のことばの意味をさとり、夢から覚めたように気がつき、わが子の冷たい骸[むくろ]を墓所[ぼしょ]におき、釈尊のもとに帰ってきて弟子となった。


当ページの典拠
   1.パーリ、本事経100
   1.雑宝蔵経
   2.大般涅槃経
   3.パーリ、増支部3-62
   4.パーリ、増支部3-35
   5.パーリ、長老尼偈註 キサーゴータミー in 釈迦物語 // Kisa Gotami (pdf)