DHARMA  お し え


第1章 因縁

第1節 四つの真理(211)

1.
この人間世界は苦しみに満ちている。生も苦しみであり、老いも病も死もみな苦しみである。怨
[うら]みあるものと会わなければならないことも、愛するものと別れなければならないことも、また求めて得られないことも苦しみである。まことに、執着[しゅうじゃく]を離れない人生はすべて苦しみである。これを苦しみの真理(苦諦[くたい])という。

 この人生の苦しみが、どうして起こるかというと、それは人間の心につきまとう煩悩[ぼんのう]から起こることは疑いない。その煩悩をつきつめていけば、生まれつきそなわっている激しい欲望に根ざしていることがわかる。このような欲望は、生に対する激しい執着をもととしていて、見るもの聞くものを欲しがる欲望となる。また転じて、死をさえ願うようにもなる。 これを苦しみの原因(集諦[じったい])という。

 この煩悩の根本を残りなく滅ぼし尽くし、すべての執着を離れれば人間の苦しみもなくなる。これを苦しみを滅ぼす真理(滅諦[めったい])という。
 この苦しみを滅ぼし尽くした境地に入るには、八つの正しい道(八正道[はっしょうどう])を修めなければならない。八つの正しい道というのは、正しい見解、正しい思い、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい記憶(↓に注釈)、正しい心の統一である。これらの八つは欲望を滅ぼすための正しい道の真理 (道諦[どうたい])といわれる。

 これらの真理を人はしっかり身につけなければならない。というのは、この世は苦しみに満ちていて、この苦しみから逃れようとする者はだれでも煩悩を断ち切らなければならないからである。煩悩と苦しみのなくなった境地は、さとりによってのみ到達し得る。さとりはこの八つの正しい道によってのみ達し得られる。


2.道に志す人も、この四つの聖[とうと]い真理を知らなければならない。これらを知らないために、長い間、迷いの道にさまよってやむときがない。この四つの聖い真理を知る人をさとりの眼を得た人という。
 だから、よく心を一つにしての教えを受け、この四つの聖い真理の道理を明らかに知らなければならない。いつの世のどのような聖者も、正しい聖者であるならば、みなこの四つの聖い真理をさとった人であり、四つの聖い真理を教える人である。
 この四つの聖[とうと]い真理が明らかになったとき、人は初めて、欲から遠ざかり、世間と争わず、殺さず、盗まず、よこしまな愛欲を犯さず、欺かず、そしらず、へつらわず、ねたまず、 瞋[いか]らず、人生の無常を忘れず、道にはずれることがない。


3.道を行うものは、例えば、燈火[ともしび]をかかげて、暗黒の部屋に入るようなものである。闇[やみ]はたちまち去り、明るさに満たされる。
 道を学んで、明らかにこの四つの聖い真理を知れば、智慧[ちえ]の燈火[ともしび]を得て、無知の闇は滅びる。

 仏は単にこの四つの真理を示すことによって人びとを導くのである。教えを正しく身に受けるものは、この四つの聖[とうと]い真理によって、はかないこの世において、まことのさとりを開き、この世の人びとの守りとなり、頼りとなる。それは、この四つの聖い真理が明らかになれば、あらゆる煩悩[ぼんのう]のもとである無明[むみょう]が滅びるからである。

 仏の弟子たちはこの四つの聖い真理によって、あらゆる教えに達し、すべての道理を知る智慧[ちえ]と功徳とをそなえ、どんな人びとに向かっても、自在に教えを説くことができる。



当ページの典拠
    1.パ−リ、律蔵大品1-6・パ−リ、相応部56-11-12、転法輪経 初転法輪(WikiDharma.org)
四苦八苦-Wiki 三苦 八風(はっぷう)-Wiki 十二因縁-Wiki 十二縁起の説明
    2.パ−リ、本事経103
    2.パーリ、中部2、一切漏経
    3.四十二章経 Eng
    3.勝鬘経
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「正念 の訳語」

上記の仏教聖典の本文 211.1には「記憶」とある。
念(おも)い  ◎これは、法輪の説明中
思念、これは、コトバンク
八正道-Wikiから
四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、
常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが「正念」である
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