第3節 仏はとわに(123)

1.人びとはみな、は王子として生まれ、出家してさとりを得たのだと信じているけれども、実は仏と成ってよりこの方、限りのない時を経[へ]ている。
 限りない時の間、仏は常にこの世にあり、永遠の仏として、 すべての人びとの性質を知り尽くし、あらゆる手段を尽くして救ってきた。

 仏の説いた永遠のの中には偽りがない。なぜなら、仏は、世の中のことをあるがままに知り、すべての人びとに教えるからである。
 まことに、世の中のことをあるがままに知ることはむつかしい。なぜなら、世の中のことは、まことかと見ればまことではなく、偽りかと見れば偽りでもない。愚かな者たちはこの世の中のことを知ることはできない。

 ひとり仏のみはそれをあるがままに知っている。だから、仏はこの世の中のことがまことであるとも言わず、偽りであるとも言わず、善いとも言わず、悪いとも言わず、ただありのままに示す。
 仏が教えようとしていることはこうである――「すべての人びとは、その性質、行い、信仰心に応じて善の根を植えるべきである。」


2.仏はただことばで教えるだけではなく、身をもって教える。仏は、その寿命に限りはないが、欲を貪[むさぼ]って飽くことのない人びとを目覚ますために、手段として死を示す。

 例えば多くの子を持つ医師が、他国へ旅をした留守に子供 らが毒を飲んで悶[もだ]え苦しんだとしよう。医師は帰ってこの有様を見、驚いてよい薬を与えた。子供たちのうち、正常な心を失っていない者はその薬を飲んで病を除くことができたけれども、すでに正常な心を失ってしまった者はその薬を飲もうとしなかった。

 父である医師は、彼らの病をいやすために思いきった手段をとろうと決心した。彼は子供たちに言った――「わたしは 長い旅に出かけなければならない。わたしは老いて、いつ死ぬかもわからない。もしわたしの死を聞いたなら、ここに残 しておく薬を飲んで、おのおの元気になるがよい。」こうして彼はふたたび長い旅に出た。そして使いを遣[つか]わしてその死を告げさせた。

 子供たちはこれを聞いて深く悲しみ、「父は死んだ。もはやわれわれにはたよる者がなくなった。」と嘆いた。悲しみと絶望の中で、彼らは父の遺言を思い出し、その薬を飲み、そして回復した。
 世の人はこの父である医師のうそを責めるであろうか。仏 もまたこの父のようなものである。仏は、欲望に追いまわさ れている人びとを救うために、仮にこの世に生と死を示したのである。


当ページの典拠
    1.2.法華経第16、寿量品 自我偈(じがげ)【解説】