第4節 迷いのすがた(244)

1.
この世の人びとは、人情が薄く、親しみ愛することを知らない。しかも、つまらないことを争いあい、激しい悪と苦しみの中にあって、それぞれの仕事を勤めて、ようやく、その日を過ごしている。
 身分の高下にかかわらず、富[とみ]の多少にかかわらず、すべてみな金銭のことだけに苦しむ。なければないで苦しみ、あればあるで苦しみ、ひたすらに欲のために心を使って、安らかなときがない。

 富める人は、田があれば田を憂え、家があれば家を憂え、すべて存在するものに執着して憂いを重ねる。あるいは災いにあい、困難に出会い、奪われ焼かれてなくなると、苦しみ悩んで、命までも失うようになる。しかも死への道はひとりで歩み、だれもつき従う者はない。
 貧しいものは、常に足らないことに苦しみ、家を欲しがり、田を欲しがり、この欲しい欲しいの思いに焼かれて、心身と もに疲れはててしまう。このために命を全うすることができずに、中途で死ぬようなこともある。
 すべての世界が敵対するかのように見え、死出[しで]の旅路は、ただひとりだけで、はるか遠くに行かなければならない。


2.また、この世には五つの悪がある。一つには、あらゆる人から地に這[は]う虫に至るまで、すべてみな互いにいがみあい、強いものは弱いものを倒し、弱いものは強いものを欺き、互いに傷つけあい、いがみあっている。
 二つには、親子、兄弟、夫婦、親族など、すべて、それぞれおのれの道がなく、守るところもない。ただ、おのれを中心にして欲をほしいままにし、互いに欺きあい、心と口とが別々になっていて誠がない。
 三つには、だれも彼もみなよこしまな思いを抱[いだ]き、みだらな思いに心をこがし、男女の間に道がなく、そのために、徒党を組んで争い戦い、常に非道を重ねている。
 四つには、互いに善い行為をすることを考えず、ともに教えあって悪い行為をし、偽り、むだ口、悪口、二枚舌を使って、互いに傷つけあっている。ともに尊敬しあうことを知らないで、自分だけが尊い偉いものであるかのように考え、他人を傷つけて省みるところがない。
 五つには、すべてのものは怠りなまけて、善い行為をすることさえ知らず、恩も知らず、義務も知らず、ただ欲のままに動いて、他人に迷惑をかけ、ついには恐ろしい罪を犯すよ うになる。


3.人は互いに敬愛し、施しあわなければならないのにわずかな利害のために、互いに憎み争うことだけをしている。しかも、争う気持ちがほんのわずかでも、時の経過に従ってますます大きく激しくなり、大きな恨みになることを知らない。
 この世の争いは、互いに害[そこ]ないあっても、すぐに破滅に至ることはないけれども、毒を含み、怒りが積み重なり、憤[いきどお]り を心にしっかり刻みつけてしまい、生をかえ、死をかえて、互いに傷つけあうようになる。

 人はこの愛欲の世界に、ひとり生まれ、ひとり死ぬ。未来の報いは代わって受けてくれるものがなく、おのれひとりでそれに当たらなければならない。
 善と悪とはそれぞれその報いを異にし、善は幸いを、悪は災いをもたらし、動かすことのできない道理によって定まっている。しかも、それぞれが、おのれの行為に対する責任をにない、報いの定まっているところへ、ひとり赴く。


4.恩愛のきずなにつながれては憂いに閉ざされ、長い月日を経ても、いたましい思いを解くことができない。それとともに、激しい貪[むさぼ]りにおぼれては、悪意に包まれ、でたらめに事を起こし、他人と争い、真実の道に親しむことができず、寿命も尽きないうちに、死に追いやられ、永劫[えいごう]に苦しまなければならない。

 このような人の仕業[しわざ]は、自然の道に逆らい、世間の道理にそむいているので、必ず災いを招くようになり、この世でも、後の世でも、ともに苦しみを重ねなければならない。
 まことに、世俗の事はあわただしく過ぎ去ってゆき、頼りとすべきものは何一つなく、力になるものも何一つない。この中にあって、こぞってみな快楽のとりことなっていることは、嘆かわしい限りといわなければならない。


5.このような有様が、まことにこの世の姿であり、人びとは苦しみの中にあってただ悪だけを行い、善を行うことを少しも知らない。だから自然の道理によって、さらに苦しみの報いを受けることを避けられない。
 ただおのれにのみ何でも厚くして、他人に恵むことを知らない。そのうえ、欲に迫られてあらゆる煩悩[ぼんのう]を働かせ、そのために苦しみ、またその結果によって苦しむ。
 栄華の時勢[じせい]は永続せず、たちまちに過ぎ去る。この世の快楽も何一つ永続するものはない。


6.だから、人は世俗の事を捨て、健全なときに道を求め、永遠の生を願わなければならない。道を求めることをほかにして、どんな頼み、どんな楽しみがあるというのか。
 ところが、人びとは善い行為をすれば善を得、道にかなった行為をすれば道を得るということを信じない。また、施せぱ幸いを得るということを信じない。すべて善悪にかかわるすべてのことを信じない。

 ただ、誤った考えだけを持ち、道も知らず、善も知らず、心が暗くて、吉凶[きっきょう]禍福[かふく]が次々に起こってくる道理を知らず、ただ、眼前に起こることだけについて泣き悲しむ。
 どんなものでも永久に変わらないものはないのであるからすべてうつり変わる。ただこれについて苦しみ悲しむことだけを知っていて、教えを聞くことがなく、心に深く思うことがなく、ただ眼前の快楽におぼれて、財貨や色欲を貪って飽 きることを知らない。


7.人びとが、遠い昔から迷いの世界を経めぐり、憂いと苦しみに沈んでいたことは、ことばでは言い尽くすことができない。しかも、今日に至っても、なお迷いは絶えることがない。ところが、いまの教えに会い、仏の名を聞いて信ずることができたのは、まことにうれしいことである。
 だから、よく思いを重ね、悪を遠ざけ、善を選び、努め行わなければならない。

 いま、幸いにも仏の教えに会うことができたのであるから、どんな人も仏の教えを信じて、仏の国に生まれることを願わなければならない。仏の教えを知った以上は、人は他人に従って煩悩[ぼんのう]や罪悪のとりこになってはならない。また、仏の教えをおのれだけのものとすることなく、それを実践し、それを他人に教えなければならない。


当ページの典拠
   1〜7.無量寿経下巻